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ブルートレインはやぶさ 富士が廃止

昨年にブルートレインに関してとてもさみしいニュースが入ってきました。

今年2009年の3月のダイヤ改正で東京発の九州行きのブルートレインのはやぶさと富士が廃止されます。

これは、とても残念な出来事です。

往年の鉄道ファンにとっては、どこまでも過酷な話題ばかりで、頭を抱えたくなります。

東京発のブルートレインといえば、僕が子供の頃(1975年から1985年頃)は、もう花形のブルートレインでありみんな憧れていました。

当時は、最長距離を走破する富士は日豊本線経由で西鹿児島まで、はやぶさは鹿児島本線経由で西鹿児島まで、みずほは熊本と長崎へ、さくらは長崎と佐世保へ、そしてあさかぜは博多へ走っていました。

僕たち、関西の子供たちからすると、夢のブルートレインで一度東京から夕方乗って食堂車でご飯食べて寝台車で寝て九州に行きたかった。

当時でも、食堂車を連結していたブルートレインは東京発の九州行きと山陰に行く出雲だけでしたから、子供ながらも立派なブルートレインに乗るには東京に行かなくちゃと思っていました^^

ブルートレインは、もう虫の息となりました。

終いに最後のブルートレインとニュースが出てくるでしょうね。

時はどんどん流れて、全てが思う出だけの中のものになっていきます。

寝台特急明星 関西と九州を結ぶ

今は、もちろん廃止されてしまっている関西発の九州行きの夜行特急列車で代表的存在であった明星がありました。

車両は、電車の寝台車である583系を使用したもの、24系25型客車を使用したもの、14系客車を使用したものなど多彩でありました。

ピーク時は、7往復もするほどであり、今では考えられないような走行です。

大阪や新大阪から博多・熊本・西鹿児島へ向かいます。
ピーク時は、京都発の明星も走っていました。
九州内は、鹿児島本線を通る列車でした。

14系や14系15型を使用した明星は、途中まで長崎行きのあかつきと併結運転していました。

当時は、大阪発の九州ブルートレイン又は583系寝台特急は、鹿児島線組がこの明星となは、日豊線が彗星、長崎方面があかつきとまさに寝台特急の黄金時代です。
九州内もは、東京発着のブルートレインも走っているので、朝と夕方から夜はたくさんの寝台列車が走っていました。

鈍行はやたま 天王寺発名古屋行き

昔、天王寺を夜11時台に発車する夜行列車はやたまという
鈍行が走っていました。

天王寺から、阪和線、紀勢本線、関西本線を通って名古屋まで行っていました。

客車は、1両だけ寝台車を連結しており後は座席の客車です。

車両は、すべて旧型の車両を使用、もちろん今では乗りたくても乗れない車両たちである。

寝台車はスハネフ12系です。

この時代のB寝台なら幅が50センチくらいの激狭の寝台でしょうね^^

僕は、子供の頃に天王寺から南紀の新宮へ同じ時間くらいに発車する急行きのくにの夜行列車版に乗っていきました。
夜遅くに天王寺を出て、目が覚めると太平洋が目の前に見えていたことをよく覚えている。

さて、鈍行夜行列車のはやたまは、天王寺から電化区間はEF58が牽引する。
そして非電化区間になるとDD51が牽引します。

今思うと、すごくかっこいいじゃないですか。

新宮には午前5時7分に到着して、ここで寝台車の車両といっても1両だけだが切り離す。
そして、名古屋に向かい、終着名古屋駅には12時57分に着くという異色の普通列車です。

旅情たっぷりの鈍行でしたね。

寝台急行ちくま

大阪と長野をむすぶ寝台急行ちくま。

寝台急行はちくまは、僕の記憶の中に最も残っている編成は、
20系寝台車と12系客車の組み合わせの編成です。

20系の寝台車が3両、12系の普通座席の客車が7両です。

大阪と長野を結ぶ急行ちくまは、夏は登山、冬はスキーの人気列車であった。

今は、冬になるとシュプール号が臨時列車として運行されているが、昔はそれを担っていたのが
ちくまである。

後に、20系から14系にグレードアップされて、12系客車も3000番台となり、だいせんに使用されていたものと同じ、シートが急行の典型的な固定クロスシートから485系に使われていたリクライニング式回転クロスシートに変更されてグレードアップしました。

そして寝台も2段式に変わりますが、まもなく電車急行に変わりやがて廃止されていきました。

ちくまやだいせん、かいもん、日南など20系プラス12系の寝台急行ブルートレインはなかなか風情があってよかったです。

但馬ビーチ 12系客車の臨時列車

ブルートレインと呼ばれるカテゴリーに属するか属さないかはこの際関係ないことにします。

青い客車が機関車に牽引されているからそれはブルートレインの一派であることに間違いはない。

子供の頃、夏の海水浴に山陰方面である兵庫県の香住にほうに出かけることが多かった。

とういうか、旅行らしきものは1年1度のそれだけだったからよく覚えている。

香住方面に行くには、大阪からまつかぜやだいせん、京都からあさしおで行ったりしてたかな?
たまに鈍行のときもあった。
まつかぜは帰りしか乗ったことがないように記憶している。

そんな夏の旅行でよく覚えているのが、夏の臨時列車である但馬ビーチ1号です。

僕の記憶が正しければ、大阪駅を午前8時3分に出発する香住行きだった。
大阪駅8時3分の福知山線から山陰に行く但馬ビーチだが、3分前の8時ちょうどには、山陰本線をロングランする人気特急まつかぜ1号博多行きが発車します。

山陰経由で博多ですよ!
今考えるとすごいディーゼル特急です。

この頃は、キハ82系の食堂車連結した堂々たる編成で、まさにあこがれの特急でした。

本音は、そっちに乗りたい気持ちがありました。

但馬ビーチは、12系客車が10両か11両くらいつないでいたような気がします。
牽引する機関車はもちろんDD51型、大阪駅に入線してきたらいかついこと。
12系客車は、当時急行型のキハ58系や165系、475系などと同じ種の固定クロスシートでした。
4人掛けのボックスシートです。
窓際に五角形のテーブルがついてました。
12系客車もまだまだ新しい車両の部類でした。

但馬ビーチは、臨時列車とはいえ、ガラガラの空席だらけで僕たち子供たちは自由に走り回れるくらい(笑)

この時代の国鉄の運営状況がそのまま出ていました。

途中もよく停車したり、長く列車を待ったりして到着まで結構かかったと思います。

それでも、今では味わえない旅情たっぷりの急行列車しかも客車であった。

できれば、あの時代の鉄道に戻れたら、大人になった今ならある程度、好きな列車に乗ることができるのに。