ブルートレイン日本海
大阪から東北(青森)を結ぶ歴史のあるブルートレインが、日本海である。
その名の通りに、北陸本線や羽越本線などの日本海側を走破しています。
牽引機関車は、もちろんEF81型交直流機関車です。
現在は、2往復している中の1往復が青函トンネルを通り函館まで足をのばしている。
同じ路線を走る人気の豪華寝台列車トワイライトエクスプレスは不定期(週3日)で大阪と札幌を
結んでいる。
トワイライトエクスプレスの登場により日本海は地味な存在になったことも否めない。
トワイライトエクスプレス用に塗装されたグリーンのEF81がブルートレイン日本海を牽引することも
あります。
ブルートレインがどんどん衰退している中、2往復走っているブルートレインも貴重である。
ブルートレインだいせん
急行だいせん。
国鉄時代には、山陰本線を代表とする急行であった。
当時大阪発の山陰本線急行はだいせんや丹波や但馬などが走っていました。
その中でエース的な急行がだいせんでした。
昼間のだいせんは大阪駅を9時50分に出て途中で切り離しながら終点はなんと浜田まで
のロングラン急行でした。
そして夜行急行は、DD51の赤のディーゼル機関車に牽引されたブルートレイン出雲市行きでした。
20系客車の寝台車と普通車のブルートレイン編成から20系寝台車と12系客車になった。
この寝台車と普通座席車の組み合わせが夜行急行の趣を出していた。
余談ですが、大阪23時ころの出発だけに三田までは終電代わりに利用していた人も多かった。
ブルートレイン富士 ブルートレインはやぶさ
昭和50年代は、まだまだブルートレインが大活躍している時代でした。
中でも花形ブルートレインは、東京から九州へ走るブルートレインでした。
東京から東北へ、大阪から九州や東北でいくブルートレインもあったが
人気は東京発九州行きのブルートレインでした。
長い距離はもちろんのこと、食堂車や個室を連結したブルートレインであったことが人気
の要因であった。
東京から西鹿児島を走破するブルートレインが二つあった。富士とはやぶさである。
富士は、小倉から日豊本線経由で西鹿児島へ、はやぶさは鹿児島本線経由で西鹿児島へ。
富士は当時最長距離を走るブルートレインであり、走行時間も24時間を越えていた。つまり少しの時間であるが日本のどこかで同じ列車番号の富士が2本走っている時間帯があった。
はやぶさは24時間とはいかないものの、それでも22時間以上の走行時間であった。
まさにブルートレインの王道でった。
50年代の頃の両列車は24系25型という当時最も新しく快適な客車を使用していた。
14系
1958年に誕生した20系寝台車がすべての寝台特急に使用された。
まさに大成功を収めたブルートレイン車両です。
その後1971年に14系寝台客車が誕生しました。
14系の魅力というか20系と違う点を解説します。
まず20系は、電力供給が荷物車で発電して供給していますが
14系は、客車の下でディーゼル発電して各車両の電気を送る分散式
となりました。
そして寝台のベット幅が52cmから70cmと広げられた。
20系の誕生当時は52cmが普通でしたが、今ではとんでもなく狭いです。
14系を使用した代表的なブルートレインはさくらやみずほです。
20系
ブルートレインの車両について語る上で、絶対に語られるべき車両があります。
もちろん国鉄時代の20系客車である。
それまで寝台客車からすると全てにおいてランクが高くなった寝台特急客車がデビューした。
この20系の特長として、
寝台特急専用に設計された車両であるlこと。
空調や食堂車・照明などの電力は荷物車からディーゼル発電されたものが供給される。
二重窓の固定窓として静かな車内をつくった。
他にもありますが、まさにブルーの動くホテルとしてふさわしい堂々たる豪華車両でした。
20系はあさかぜでデビューしてたくさんの寝台特急に使用された。
ブルートレイン史上、もっとも人に愛された車両です。